東西文化研究ノート

東西文化の融和体得者を育成せんことを建学精神とする両洋学園の創立者・中根正親先生の「両洋精神」と、国民教育の友とならんと「社団法人実践人の家」を創始された教育哲学者・森信三先生の「全一学」に魅せられて、「東西文化の融合は大和民族の世界史的使命である!」というテーマに的を絞って東西両洋文化の研究をしている管理人のブログです。
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東西文化融合の旗手たち(一)新井奥邃−明治維新が生んだ、キリストの志願奴隷戦士−(2)
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    嗚呼基督の道豈宏遠に伝ふるを欲せざる者あらんや。然れども之を伝ふる者一毫の欲あれば、即ち悪魔の奴となりて悪魔の道を伝ふるなり。不信者は罪軽し、信を装う者は罪悪尤も重し。(『奥邃広録』)

    2、新井奥邃メモ
    その後、森信三先生にお会いする機会に恵まれ、先生より京都在住の福田与先生を紹介して頂くなどのご縁により、「新井奥邃」なる人物は徐々にその謎のベールを脱いで、その真姿を現して来たのである。以下、新井奥邃に関する簡単なメモである。

    (1)慶応四年、戊辰戦争が起きるや、江戸より急ぎ仙台に帰参、用いられて「奥羽列藩同盟」の結成に奔走。

    (2)仙台藩が降伏すると同志と共に脱藩。函館は五稜郭に拠って官軍と抗戦することとなった。一方、ロシアの宣教師ニコライに会い、初めてキリスト教を知り、心を傾けてその教えの核心を学んだ。

    (3)明治3年12月、24才の時、友人金成善左衛門の紹介で、後の文部大臣、森有礼の知遇を得、アメリカ初代公使に任ぜられて米国に赴任する森有礼に伴われて、その留学生の一人として、かつて森有礼が、かの地で学び師事したトマス・レ−ク・ハリスのもとに森有礼にかわってキリスト教を学ぶことになった。

    (4)トマス・レーク・ハリスは、当代一の神秘主義者で、アメリカの地に共同体を設立して、毎日の労働を通して真のキリスト精神を指導した人である。

    (5)新井奥邃は、ハリスに従って、その最後の共同体、カリフォルニアのサンタ・ローザにあったファウンテングローブ(泉の森)で、後のブドウ王「長沢鼎」ら一団の同志らとともに新たに購入した広大なる原野を開拓すると共に相当の労働を分担しつつブドウ園の開拓、経営に従事し、この別天地に孜々として道を修めること三十年に及んだ。

    (6)明治三十二年八月、傘とカバンと二冊の英文自著を手にするの他、無一物にて飄然と帰朝した。

    (7)帰朝後は独居転々、アメリカでの過去を一切語らず、職に就かず、在米中、縁あって世話した青年の父親・平沼延次郎(横浜銀行頭取)より献資を受け、東京巣鴨東福寺跡に書生二十名余を収容する寮舎に住し、舎生らの指導に当たるほか、舎出身者とその家族、その他の人々を集めて講話を行い食事を共にされた。

    (8)先生は毎朝四時起床。身辺を清掃後、静座、瞑想数刻。其後は読書或は執筆。六時朝食。丁度夜明けのおそい時期であったから、二三の食卓には、ランプがともされ、床の間を背にした正面に先生、左右に学生が着席し、黙礼ののち箸を取った。朝の食事は何となく厳粛に感ぜられた。私は夜間は先生と同室であったので、それとはなしに、就寝前の先生の黙祷を窺い見たことがあり、その動作は厳粛にして、神秘的なところがあった。(中村木公『随感録』より)

    (9)渡良瀬川鉱毒事件で有名な義人・田中正造は、新井奥邃と交流があり、巣鴨の謙和舎をたびたび訪ねており宿泊もしている。そして正造は奥邃より精神的指導を受けていたと思われる。

    (10)奥邃は遺言して、自分を葬った土の上に墓碑を立てることを禁じた。自分の写真を一枚も残さず、生涯娶らず独身であった。

    (11)奥邃は1922年(大正11年)この世を去った。死後、弟子の永島忠重が奥邃の書いた文章「信感」をまとめた『奥邃広録』(全5巻)をはじめ、『新井奥邃先生伝』『新井奥邃先生の面影と其の談話』『新井奥邃先生』などの著書を刊行している。

    (12)新井奥邃に親炙し、またはその薫陶を受けた人々は、社会の表面に出て活躍した。参考の為その主な人々を掲げる。
    永島忠重    『奥邃広録』他の出版者
    中村千代松  代議士
    内ヶ崎三郎  早大教授、代議士、衆議院副議長
    中村秋三郎  田中正造の顧問弁護士
    布施現之助  医博、東北大学医学部長
    岡  通     医博、東北大学教授、甲南病院長、教会牧師
    相原一郎   文部省宗教局参与
    柳 敬助    洋画家
    江戸狄嶺   農政学者
    原田嘉次郎  牧羊家
    大山幸太郎  宗教倫理学者
    佐藤在寛   函館聾唖学校長
    岩住良治   農博、東大教授
    吉野作造   東大教授
    山川丙三郎  ダンテ神曲の翻訳者
    荻原碌山    洋画家
    高村光太郎  詩人、彫刻家
    野口米次郎  英語詩人
    内藤乾吉   大阪市立大名誉教授、内藤湖南の長男

    【参考資料】
    知られざるいのちの思想家―新井奥邃を読みとく
    新井奥邃先生略伝(永島忠重)
    新井奥邃―公快共楽の栄郷を志向した越境者 (公共する人間 5)
    新井奥邃の思想 (1984年) (新井奥邃の人と思想〈1〉)
    内観祈祷録・奥邃先生の面影 (1984年) (新井奥邃の人と思想〈2〉)

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