東西文化研究ノート

東西文化の融和体得者を育成せんことを建学精神とする両洋学園の創立者・中根正親先生の「両洋精神」と、国民教育の友とならんと「社団法人実践人の家」を創始された教育哲学者・森信三先生の「全一学」に魅せられて、「東西文化の融合は大和民族の世界史的使命である!」というテーマに的を絞って東西両洋文化の研究をしている管理人のブログです。
<< 三人の東西文化融合の旗手たち | main | 東西文化融合の旗手たち(一)新井奥邃−明治維新が生んだ、キリストの志願奴隷戦士−(2) >>
東西文化融合の旗手たち(一)新井奥邃−明治維新が生んだ、キリストの志願奴隷戦士−(1)
0

    今猶(なお)奴隷たる主の為めに、己(おのれ)亦奴隷の末に与(あずか)り得んことを志願する所以なり。予(よ)豈(あ)に自由民の如く、今日敢て闊歩するを願はんや。(『奥邃広録』)

    1、新井奥邃との出会い
    私が新井奥邃という聞き慣れぬ名前を初めて知ったのは、知人から借りた『全一学ノート』(森信三著)を手にした昭和54年の秋の日のことである。  

    『全一学ノート』には、

    新井奥邃(1846〜1922)明治維新後もっとも深邃な基督者なるも、その名は今日に至るもなお広くは知られず、真の隠者とは斯の人ならむ。  

    先生名は常之進。弘化三年仙台城下に生まる。幼にして俊秀、藩学に学び、江戸遊学を命ぜらる。大政奉還後、官軍東北討伐の際、危地を脱して五陵廓に立てこもる。後逃れて千葉県下に匿れ、やがて在京の友人金成氏の推挙により、森有礼より第一回の渡米留学生の一員に選ばれ米国に渡る。他はすべて大都会の大学に学びしも、先生はひとり聖哲ハリスのブドウ園に入り、労働しつつ道を修めること三十有年。  

    五十四才飄然として帰国。どの教会にも属せず、その句を引用して説教される事もなし。ただ「信感」(奥邃広録)の千言万語こそ、すべての聖書の生ける注釈であり、日常生活のすべてが生きた教説だった。  

    終生めとらず、独居転々。後有志の一人巣鴨に謙和舎を献じ、青年二十名と起居を共にし、七十余年の生涯を了え給う。けだし基督の僕として大謙深愛の真人というべし。  

    とあり、私は「新井奥邃」とは、一体何者であろうか?と、非常に興味をかきたてられたが、その時は訳の分からぬままに『全一学ノート』を閉じたのである。

    【参考資料】
    知られざるいのちの思想家―新井奥邃を読みとく
    新井奥邃先生略伝(永島忠重)
    新井奥邃―公快共楽の栄郷を志向した越境者 (公共する人間 5)
    新井奥邃の思想 (1984年) (新井奥邃の人と思想〈1〉)
    内観祈祷録・奥邃先生の面影 (1984年) (新井奥邃の人と思想〈2〉)

    | 新井奥邃 | 01:36 | comments(1) | - |
    コメント
    新井奥邃は実に謎めいた人ですが、最近、注目を浴びています。東京大学出版会より出版されたばかりの『公共する人間5 新井奥邃』の一読を進めます。現在の日本における奥邃研究の現状がよくわかります。
    | kozukata | 2014/11/30 5:36 PM |
    コメントする









    CALENDAR
    S M T W T F S
      12345
    6789101112
    13141516171819
    20212223242526
    2728293031  
    << October 2019 >>
    SELECTED ENTRIES
    CATEGORIES
    ARCHIVES
    RECENT COMMENT
    • 東西文化融合の旗手たち(一)新井奥邃−明治維新が生んだ、キリストの志願奴隷戦士−(1)
      kozukata (11/30)
    • ブログ創刊の辞
      JUN ARAI (11/30)
    モバイル
    qrcode
    LINKS
    PROFILE